2009年2月8日 | 準備委員の一部が会合を開いたり、委員全体でメールによる協議を重ねた結果、「準備委員会」を「実行委員会」に改変・改称することを決定した。 それにともない、実行委員の役割を下記のとおり分担することにした。
09年2月8日より「準備委員会」を「実行委員会」に改変・改称する。これに伴い企画運営班は解散する。
※以上13名を実行委員とする。 |
2009年 | 2月3日 | 2組担当の準備委員が、本杉 雄三から照井 裕(1組担当と兼務)に代わった。 会計係が本杉 雄三から荒井 広明(4組)に代わった。 |
2008年 | 10月5日 | 準備委員が9日間にわたってメールで協議を重ねた結果、 同期会の会費を7千円とすることに決定した。 |
9月23日 | 戸塚駅東口の居酒屋「はやしや」において準備委員会の2回目の会合を開催。 決議事項はこのホームページの同期会実行委員会に掲載した。 | |
7月1日 | 5組担当の準備委員が藪一美から山田功に代わった。 | |
2月11日 | 「会場選定班」を発展的に解消し、準備委員会の中に「企画運営班」を設置。 式次第の作成、当日の運営、ホテル側との調整(交渉)など、 会場に関わる実務は「企画運営班」が担当することになった。 メンバーは以下の7名。 沼田雄久(班長)、荒井広明、荒木哲也、仲摩一幸、相原由美、小出真奈美、藪一美 | |
2月10日 | 会場選定班が視察し協議した結果、同期会の会場と会期を以下のとおり決定した。 日時:2009年6月21日(日)午後1時より午後3時まで 会場:ホテルキャメロットジャパン(旧リッチホテル) | |
2007年 | 12月10日 | 11組担当の準備委員が、小出真奈美から水村孝之に代わった。 |
11月30日 | 準備委員会の中に「会場選定班」を設置。 2008年4月までに会場を決めるため調査を開始した。 メンバーは沼田雄久(班長)、仲摩一幸、薮一美、小出真奈美の4名。 | |
11月23日 | 東戸塚駅東口「坐・和民」において準備委員会の初会合を開催。 同期会の開催年月を2009年6月と決めた。 | |
8月5日 | 準備委員の合議により、 委員長に照井裕、副委員長に沼田雄久、会計係に本杉雄三が就任した。 | |
8月1日 | 準備委員会が14人の恩師と234人の同期生に住所録を一斉に発送。 住所録の作成により、同期生531人のうち5氏が他界されていることを確認した。 同時に、292人の所在が未確認であることが判明。 準備委員が各自のクラスを対象に所在確認を開始した。 |
2007年 | 7月24日 | 「舞岡中学校18期生第1回同期会準備委員会」が発足。 卒業30周年の節目となる2009年に同期会を開催するための準備を開始した。委員はつぎの12名。 照井裕、本杉雄三、巽聡、荒井広明、薮一美、内田一夫、沼田雄久、古坂真人、荒木哲也、仲摩一幸、小出真奈美、山内順一。 |
7月15日 | 台風4号が接近する中、戸塚駅東口の居酒屋「北海道」において親睦会を開催。 恩師7氏、同期生99人が出席した。 | |
6月 | 13人の発起人を定め、各クラスの担任だった恩師をはじめ、できるだけ多くの同期生に声をかけるべく所在確認に取り組んだ。 しかし28年間の空白と、準備期間 が短かったことなどから、情報を届けることができたのは同期生全体の半数以下にとどまった。 この月にホームページを開設した。 | |
5月 | 当初は1組の数人と望月先生とのささやかな飲み会を想定していたが、望月先生が井上先生と笠原先生もお誘い下さるとおっしゃられたのを機に、城平と照井が親しい他のクラスの同期生にも声をかけはじめた。 これによって情報が急速に広がり、加速度的に仲間の輪が広がった。 | |
4月 | 1組の城平と照井が望月先生との飲み会を発案。 城平の息子が在籍する中学校に望月先生が勤務されていることをきっかけに。 |
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